子供にとって、大人たちは完璧でなんでも知っているもの。正しいことを知っているから叱るのだ。そう思っている。子供は大人たちの言葉を信じる。
中でも信じている大人からの言葉の力は大きくて、いつまでも心に残り続ける。大人になって、完璧な人間なんていないと気がついてからも。
子供も大人も等しく自分の中に世界を持っている。対等に話せることを忘れてはいけない。
子供にとって、大人たちは完璧でなんでも知っているもの。正しいことを知っているから叱るのだ。そう思っている。子供は大人たちの言葉を信じる。
中でも信じている大人からの言葉の力は大きくて、いつまでも心に残り続ける。大人になって、完璧な人間なんていないと気がついてからも。
子供も大人も等しく自分の中に世界を持っている。対等に話せることを忘れてはいけない。
日曜日に太陽が頭上高くに昇るまで寝ていたら、あの人はなんと言うだろう、そう思いながら一緒に生きていく。二度と会えない大切な人、心の中でいつでも会える。
そういえばそうだった、親しく思っている人でも他人なんだ。理解できないのは当たり前なんだ。そう思った。だからこそ、歩み寄らなければ分かりあうこともないのだ。その人との関係性を決めるのは自分自身と言えるかもしれない。
作中で槙生の言うとおり「誰かを一番に想う」というのは余程のことだし、果たして自分にはなんて思っている時点でいないのだろう。憎い姉の一番だった朝。一番ではないかもしれないけれど、比べるものではないし自分のペースで関係を築いた先に愛情はきっとある。
「死ぬ気で書く、殺す気で書く」という槙生の強い気持ちがかっこいい。譲れないことには強い気持ちも必要。自分を大事にできる槙生だからこそ、朝に伝えられることもある。
いい映画だった。原作もいずれ。
死んでしまった人に会いたいと思うのは、未練があるからだ。伝えたいことがあったり、気持ちを知りたかったり。また顔を合わせるのだと思うと、気まずくなりたくなくて言えないこともある。波風立たずになんて思ってしまう。
後がなくなってから言えるなんて寂しい。伝えることを身構えずに、あたりまえにできたらいいな。
一人になって寂しいと心を閉すのではなく、あなたならどう思うだろうか、と開いた心で考えて理解し続けることができたなら…ののはそうして考えて理解し続けた。悩みながらも前向きな心を見習いたい。今触れ合う人とも、これから巡り合う人とも、広い心で付き合えたら。
生きることは簡単ではないけれど、見なかったふりをしたり、日常を続ける見えない力に引っ張られながら、中年まで生きていくのも悪くないよなと思えた。そして、自身の核に迫ることには、力を注ぎ込むこともあってもいいかもしれない。
一人で生きていく境遇になった時に、この本のことを思い出したい。
昭和時代は団体旅行も盛んだった。観光地はその恩恵もあり栄えていた。今となっては昔のお話。
そんな土地にある、観光客を相手に商売をしている家でたびたび考えられてきたのだろう。家業を継ぐのか、継がないのか。
学びたいことを学べる環境があるのだから、新しい仕事や土地へ移ることもできる。選択肢があるのはいいことだ。あとは自分の感情とどう折り合いをつけるか。そういう選択がされてきたのだと考えさせられた。
地方の穏やかなのんびりした空気はなくならないでほしいな。
人間はこの世界を生きている。夢や妄想の中ではなく、現実を生きている。お腹が空けば食べて、寒ければ暖をとって、星を美しいと感じて、優越感や劣等感を抱きながら生きている。私たちは生活をしている。私たちは悲しみや慈しみを感じる心を持っている。そして、楽をしたがり、自由を夢見ることもある。どうしようもないところもあるかもしれないけれど、一生懸命生きている。
私たちは現実を生きている。